時間をつぶす必要にせまられて、小説(上下巻)を買って読み始めた。
小説を読むのは久しぶりだ。この小説を選んだのは、以前に読んでおもしろかった著者の作品だったからだ。
小説の始まりはいつだって、その小説の世界をつかむのに苦労する。たいていは書き出しから二頁ほどを、三回くらい読み返してしまう。
しかもこの小説ときたら、主人公が作中で、初めから「おまえ」と呼ばれている。では、「おまえ」と呼んでいる人物が誰なのかと思ってしばらく読み進めても、明かされないのだ。
その主人公は少年で、名前も明かされている。他の小説でならば、その「名前」で書かれるであろう文の中で、突然「おまえは」とくる。
「お」「ま」「え」と目がなぞるたびに、「おまえ」と頭で認識されて、小説を読んでいるわたしは「おまえ」と呼びかけられる。しかし、その主人公はわたしではない。「おまえは」、「おまえが」、この違和感に苦しみながら読む。(結局、慣れてくるまでに、下巻の三分の一をすぎてしまった。)
しかも、小説内で起こるできごとときたら、現在の日本のニュースで聞く雑誌で読むあれこれの破壊や不幸や暴力や犯罪の行列だ。
この行列と「おまえ」にすっかりやられてしまった。なんなのだこのはなしは。いったいどうやってはなしをおさめるつもりなのださくしゃは。と思いながら読み終えた。
このくらいの刺激がなければ、今の日本を生きる人の感情を作品で動かすことはできないだろうか。
読んでいる現実のわたしの周りでは、へたくそなドラマのような現実があって、それでも生きようという覇気をこの作品から受けた気がする。