カテゴリ:●日記( 111 )

足りないカレンダー

e0049945_12211786.jpg部屋の壁にカレンダーが掛かっているお宅は多いのではないかと想像するのですが、うちにはありません。カレンダーが必要なときは、家でも手帳を見るからなのです。

それでも、日めくりカレンダーというのにちょっとあこがれがありまして、マグネットシートに数字が印刷されたものを買ってきて、カレンダーとして使ってみることにしました。

e0049945_12214570.jpg冷蔵庫がリビング向きに設置してあり目に入りやすいので、ドアに貼り付けてみたところです。結構気に入っています。

ところで、このシートを買うときに、2セットあればカレンダー用に足りるだろうとなんとなく思ったのです。しかし、「2月22日」と「12月22日」が表示できない!ことに後から気がつきました。

もう1セット買うのもしゃくだし、まあいいか♪037.gif
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by chinchudo | 2008-11-28 11:50 | ●日記

圧力鍋と炊飯器

e0049945_13291965.jpg圧力鍋を買いました!大きさを迷っていましたが、3リットルにしました。圧力鍋としては小ぶりな直径18cmで軽い(1.8kg)ので、毎日ちょこちょこ使うのにほどよい大きさです。

圧力鍋で初めに試したのは、炊飯です。お米をといですぐに炊き始められるので、早い早い!
加熱5分とむらし15分でおいしく炊けました。子どもの頃に家で食べていたガス炊飯のご飯の味をなんとなく思い出しました。

ところで、我が家で普段使っている炊飯器は、ずばり「古い」です。

どれくらいかというと、このとおりです!
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by chinchudo | 2008-10-25 13:30 | ●日記

ある小説の感想

時間をつぶす必要にせまられて、小説(上下巻)を買って読み始めた。

小説を読むのは久しぶりだ。この小説を選んだのは、以前に読んでおもしろかった著者の作品だったからだ。

小説の始まりはいつだって、その小説の世界をつかむのに苦労する。たいていは書き出しから二頁ほどを、三回くらい読み返してしまう。

しかもこの小説ときたら、主人公が作中で、初めから「おまえ」と呼ばれている。では、「おまえ」と呼んでいる人物が誰なのかと思ってしばらく読み進めても、明かされないのだ。

その主人公は少年で、名前も明かされている。他の小説でならば、その「名前」で書かれるであろう文の中で、突然「おまえは」とくる。

「お」「ま」「え」と目がなぞるたびに、「おまえ」と頭で認識されて、小説を読んでいるわたしは「おまえ」と呼びかけられる。しかし、その主人公はわたしではない。「おまえは」、「おまえが」、この違和感に苦しみながら読む。(結局、慣れてくるまでに、下巻の三分の一をすぎてしまった。)

しかも、小説内で起こるできごとときたら、現在の日本のニュースで聞く雑誌で読むあれこれの破壊や不幸や暴力や犯罪の行列だ。

この行列と「おまえ」にすっかりやられてしまった。なんなのだこのはなしは。いったいどうやってはなしをおさめるつもりなのださくしゃは。と思いながら読み終えた。

このくらいの刺激がなければ、今の日本を生きる人の感情を作品で動かすことはできないだろうか。

読んでいる現実のわたしの周りでは、へたくそなドラマのような現実があって、それでも生きようという覇気をこの作品から受けた気がする。
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by chinchudo | 2008-08-12 11:25 | ●日記

徒然草 第百八十八段

或者、子を法師になして、「学問して因果の理をも知り、説経などして世渡るたづきともせよ」と言ひければ、教ヘのままに、説経師にならんために、先づ、馬に乗り習ひけり。輿・車は持たぬ身の、導師に請ぜられん時、馬など迎へにおこせたらんに、桃尻にて落ちなんは、心憂かるべしと思ひけり。次に、仏事の後、酒など勧むる事あらんに、法師の無下に能なきは、檀那すさまじく思ふべしとて、早歌といふことを習ひけり。二つのわざ、やうやう境に入りければ、いよいよよくしたく覚えて嗜みけるほどに、説経習うべき隙なくて、年寄りにけり。

この法師のみにもあらず、世間の人、なべて、この事あり。若きほどは、諸事につけて、身を立て、大きなる道をも成じ、能をも附き、学問をもせんと、行末久しくあらます事ども心には懸けながら、世を長閑に思ひて打ち怠りつつ、先づ、差し当りたる、目の前の事のみに紛れて、月日を送れば、事々成す事なくして、身は老いぬ。終に、物の上手にもならず、思ひしやうに身をも持たず、悔ゆれども取り返さるる齢ならねば、走りて坂を下る輪の如くに衰へ行く。

されば、一生の中、むねとあらまほしからん事の中に、いづれか勝るとよく思ひ比べて、第一の事を案じ定めて、その外は思ひ捨てて、一事を励むべし。一日の中、一時の中にも、数多の事の来らん中に、少しも益の勝らん事を営みて、その外をば打ち捨てて、大事を急ぐべきなり。何方をも捨てじと心に取り持ちては、一事も成るべからず。

例へば、碁を打つ人、一手も徒らにせず、人に先立ちて、小を捨て大に就くが如し。それにとりて、三つの石を捨てて、十の石に就くことは易し。十を捨てて、十一に就くことは難し。一つなりとも勝らん方へこそ就くべきを、十まで成りぬれば、惜しく覚えて、多く勝らぬ石には換へ難し。これをも捨てず、かれをも取らんと思ふ心に、かれをも得ず、これをも失ふべき道なり。

京に住む人、急ぎて東山に用ありて、既に行き着きたりとも、西山に行きてその益勝るべき事を思ひ得たらば、門より帰りて西山へ行くべきなり。「此所まで来着きぬれば、この事をば先づ言ひてん。日を指さぬ事なれば、西山の事は帰りてまたこそ思ひ立ため」と思ふ故に、一時の懈怠、即ち一生の懈怠となる。これを恐るべし。

一事を必ず成さんと思はば、他の事の破るるをも傷むべからず、人の嘲りをも恥づべからず。万事に換へずしては、一の大事成るべからず。人の数多ありける中にて、或者、「ますほの薄、まそほの薄など言ふ事あり。渡辺の聖、この事を伝へ知りたり」と語りけるを、登蓮法師、その座に侍りけるが、聞きて、雨の降りけるに、「蓑・笠やある。貸し給へ。かの薄の事習ひに、渡辺の聖のがり尋ね罷らん」と言ひけるを、「余りに物騒がし。雨止みてこそ」と人の言ひければ、「無下の事をも仰せらるるものかな。人の命は雨の晴れ間をも待つものかは。我も死に、聖も失せなば、尋ね聞きてんや」とて、走り出でて行きつつ、習ひ侍りにけりと申し伝へたるこそ、ゆゆしく、有難う覚ゆれ。「敏き時は、則ち功あり」とぞ、論語と云ふ文にも侍るなる。この薄をいぶかしく思ひけるやうに、一大事の因縁をぞ思ふべかりける。
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by chinchudo | 2008-07-12 08:13 | ●日記

データのバックアップ

普段はそんなには気にしませんが、原稿などの完成前にはとても神経を使います。特に大事な締め切り前は、データを大事に思う気持ちが昂じて、いろんなことが頭をめぐります。

パソコンが急に壊れたら困るな。USBメモリが読み込めなくなるかも。いや、失くすかも。必要なときに限ってネットに繋がらないかも。家が火事になったらどうしよう。大地震がくるかもしれないし。…ざっとこんな感じで、ちょっと過剰(^_^;)。

こんなときは不安におののいていても仕方ないので、いくつものバックアップをこまめに取ります。しかし当然手間がかかりますので、データをとても大事だと思う気持ちがないと実行できないし、しません。

普段は元データとコピーが一部あればいいかという程度です。みなさんはいかがなさっていますか?
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by chinchudo | 2008-07-10 12:45 | ●日記

ザンジツ

「ザンジツ」とは 「残日」でありまして、これは藤沢周平の『三屋清左衛門残日録』に使われています。

このタイトルをラジオではじめて聞いたときは耳慣れない言葉に思いました。ですが、「ザンジツロク(=残日録)」とは、「残された日=余生」の記録なのだろうと想像しました。はたして作品の中で、隠居暮らしの清左衛門が書いている日記が「残日録」ということになっています。

ところで、「残日録」とは「日残リテ昏ルルニ未ダ遠シ」の意味なのだと清左衛門が話す場面があります。たいへん印象的な解釈だと思います。

『全唐詩』に「残日」の用例が50弱あるのですが、ざっと見たところでは「残日」の意味は「残っている日(=夕陽)」のようです。「日残リテ昏ルルニ未ダ遠シ」は、「残日」の原義に余韻を味わうイメージを付加しているのが、文学だなあと感じます。

はじめに私の頭にうかんだ「残日=残りの日」は日本での使い方であると手持ちの漢和辞典に載っていますが、いつごろから「残りの日」の意味で使われているのか気になります。。。
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by chinchudo | 2008-07-04 11:58 | ●日記

アルバイト先の塾で、小5の子どもを持つ親御さんから質問をうけました。それは、

  国語のテストの成績を伸ばすには、どんな本や読み方がおすすめか

という内容で、中学受験に役立つことならなんでもしたい(させたい)親御さんの気持ちが痛いほど伝わってきました。

一般にも関心がもたれる質問ではないかと思い、回答の内容をここに載せます。(公開用に表現は変えてあります。)


  読書は、読解力を養うのに当然ながら役立ちます。ですから、推理小説でも物語でも、本人が興味あるものを、どんどん読んでください。とにかくすきな本を読ませてあげてください。

  しかし、読解力と国語の力とは、必ずしも同じではありません。国語の問題が解けるようになるためには、たくさんの問題を解くなかで、設問が意図していることを正確に読み取り、的確に答える力を養うことが必要です。これは、独力ではなかなか難しいことです。このほかに、ことわざや熟語、文法などの言語知識も必要です。

  中学入試国語について知るための本に、

石原千秋氏『中学入試国語のルール』(講談社現代新書、2008)

などがあります。読売新聞夕刊の連載を再編成したもので、入試国語の実例をわかりやすく解説しています。なおこの本は、ルビを多くふり、小学生が読むこととも想定しているようですが、これを読んで理解することができる小学生は、相当な国語力があると思われます。あくまで大人におすすめします。
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by chinchudo | 2008-07-03 13:11 | ●日記

さくら

まどみちお氏の 「さくら」 という詩に

  いちどでもいい
  ほめてあげられたらなあ…と

  さくらのことばで
  さくらに そのまんかいを…

という句があります。

私も、さくらの花を毎年たのしみにしています。そして今年もその季節です。

けれど、「きれいだなあ」と思うとき、「きれいだなあ」と話すとき、その言葉は誰に向けて発せられたことばなんだろうか?

「さくら」を「さくらのことばで」「ほめてあげ」たいという言葉から私がイメージするのは、しずかに咲いているさくらのもとで花を見上げ、さくらの花に吸い込まれてしまいそうな気がして目眩を覚える瞬間です。

まどさんの言葉に、胸を突かれます。
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by chinchudo | 2008-03-28 23:29 | ●日記

あたらしい季節

友達から、「外はポカポカだね。」とメールがきた。それにつられて外へ出たら、ほんわりとゆるんだ空気は確かに春を感じさせた。いつまでも寒い冬のような気がしていたけれど、もう2月も下旬なのだと気がつく。そういえば、今シーズンは冬眠をしたいと考える暇もなかった。

「ひきこもってやった甲斐があったね。」と言われたけれど、ひきこもっていたわけではないんだ、別に、と思う。途中経過を報告に行くことと、いつものアルバイトと、生活に最低限のこと以外はやらなかったから、そういうのがひきこもりならばそうかもしれないけれど。

朝起きてごはんを食べて、9時には机に向かい、そのまま夜まで13時間。その間に空腹を感じたら食事をして、夕方には近所をすこし散歩。おふろに入って、睡眠はしっかり8時間。毎日がこの繰り返しだった。

おもてむきはたんたんとしていて、そして内面は楽ではなかったと思う。以前の勤めの経験でいえば、一日4時間以上の残業を一ヶ月以上続けて徹夜もして結果をだす、くらいに相当した。(通勤時間がない分は身体が楽だった。)

それでも仕事ならば、完成が人に待たれている。もしも自分ができないならば、他の人に分担してもらうなり代わってもらう必要がある。ところが、今回は完成を待っている人はいない。自分以外は。。。

先におなじ道を歩んだ人たちのなかで、今振り返ってもあの頃はたいへんだったとおっしゃる方が何人もあった。そうだとしたらおそれる必要はないが、自分なりにくるしむべきなのだろうと思った。

そして冬がおわって、あたらしい季節がくる。選んだ道をたのしくくるしんで歩きたい。
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by chinchudo | 2008-02-23 12:50 | ●日記

雪まつり

第59回さっぽろ雪まつりを見物してきました! 昼間のようすです。

○北京オリンピックマスコット 迎迎(インイン)
e0049945_127297.jpg
角は、チベットカモシカのイメージです。五輪五人組のきいろ担当。

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by chinchudo | 2008-02-08 12:13 | ●日記
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